509回 (2014.7.12

一遍上人の住み処

  ・・・・念仏まうす起ふしは妄念おこらぬ住居かな・・・・

圓増 治之 (愛媛大学 名誉教授)

 

 現代ドイツの哲学者、ハイデッガーをはじめ、人間存在の特徴を「住まう」という在り方に見る哲学者は少なくない。大雑把な言い方にはなるが、死すべきものとしての人間は、常に死の可能性に曝されているが故に、できる限り危険な可能性から自分の身を守ろうとして、家を建て、町を建設し、そこに住まうところにその存在の特徴があるといえる。人は自分が住まう場所に留まる間は、くつろぎ、安心して居ることができる。外に出かけた人も、自分の家に、自分の町に帰れば、手足を伸ばしほっと一息つくことができる。人は自分の家に、自分の町に閉じこもることで、無常の風をシャットアウトして、そこに安住することもできるのである。

 

 しかし、たとえ家にいようとも、町にいようとも、人間存在に根源的に属する無常を完全にシャットアウトすることはできない。場合によっては自らの存在の根底から無常の風が吹き上がってくることもある。そのような場合、家での人間関係が、町の喧噪が煩わしくなり、家を、あるいは町を出ていく。しかし、人間は人間として有る限り、この大地のうえで「住まう」。世を憂しとして家を、町を出た人は人里離れて隠れ住む。古来、草庵でのわび住まいに安らぎを見いだした人も少なくない。さらに、その草庵すら後にして旅に出、一生を旅の空のもとで過ごした人も少なくない。賦算の旅の途上で亡くなった一遍上人もその一人であった。

 

 一遍上人は、 空也上人を「吾先達」とし、空也上人に倣い、家や寺を捨てて、民衆の間に出て念仏勧進の旅に出た。この一遍上人の旅は、念仏を「普く衆生に施す」賦算の旅であるとともに、一切を捨てる旅でもあった。衣食住のすべてを捨て、身を捨て、心を捨て、ついには捨てる心さえ捨てていった旅の果てに、一遍上人が辿り着いたのはどのような世界であろうか。

 

 一遍上人は、次のように歌っている。

 「身をすつるすつる心をすてつればおもひなき世にすみ染の袖」、と。

 

 身を捨て、心を捨て、さらに捨てることにとらわれた心までも捨ててしまって、今私は墨染めの衣を着て、なにも思い煩うことのない世界に住んでいる、と詠っている。

 

 世塵に汚れた世界では、人は落ち着くことはできない。そこでは人は絶えず、色々の誘惑に心動かされ、悩み迷い、安心して住むことのできる場所など、家にも、町にも、どこにもない。心に浮かぶ一切の思いを捨て去って、心から心を惑わす色が消え去り、心が澄んで透明になったところ、その「おもいなき世」こそ、語源的に本来的な意味で「すむ」というにふさわしい場所、つまりほんとうに落ち着いて居ることのできる場所、安心して「すむ」ことのできる場所といえる。

 

 「うき世」に住む人たちに対して一遍上人は、このような安心して住むことのできる「おもひなき世」で共に住もうよと誘って詠う、

 「おもひしれうき世の中にすみぞめの色々しきにまよふこゝろを」、と。

 

 うき世に住んでいると、心は憂き世の汚れに染まって、憂き世の色々の空しい現象に迷っていることを思い知るべきだ、と「うき世」に住む人に念仏を勧め、詠うのであった。そして、この一遍上人の勧めに呼応してそこにいる人が一遍上人に唱和して念仏すれば、念仏の声いよいよ高まり、我も我にあらずわがなくして念仏が唱えられる世界が、言い換えれば、限りなく澄んだ「おもひなき世」がそこに現成する。そのような世界こそ一遍上人の、そして一遍上人の同行者たちの住み処であった。逆説的な言い方になるが、一所不住の賦算の旅の空のもとこそが一遍上人の住み処であった。「人間到る処青山あり」(何処に行っても死に処がある)は、裏を返せば、「人間到る処住み処あり」(何処に行っても生き処がある)ともいえよう。このような普く人々を念仏唱和へと導いていくためには、歌は、なかんずく唱和して詠う和讃は捨てようとしても捨てることのできない道具であったといえよう。

 

 一遍上人はその和讃の一つ、『百利口語』の中でも居住を風雲に任せて念仏勧進の旅を住み処と詠っている。

 

「口にとなふる念仏を普(あまね)く衆生に施(ほどこ)して

これこそ常の栖(すみか)とて いづくに宿(やど)を定まねど

さすがに家の多(おお)ければ 雨にうたるゝ事もなし

此身をやどす其(その)(ほど)は あるじも我も同じこと

(つい)にうち捨(すて)ゆかんには 主(あるじ)がほしてなにかせん

(もと)より火宅(かたく)と知(しり)ぬれば 焼(やけ)うすれども騒(さわ)がれず

(すさみ)たる処みゆれども つくらふ心さらになし

(たたみ)一畳(いちじょう)しきぬれば 狭(せばし)とおもふ事もなし

念仏まうす起(おき)ふしは 妄念おこらぬ住居(すまい)かな」

(『一遍上人語録』一五〜一六頁)

 

 念仏を口に唱えて、広く念仏を勧進してまわる旅こそ常の住み処としてどこにも定住する家はもっていない。とはいえ、いたるところ家が多く、雨宿りに事欠かないので、雨に打たれることはない。この身体がこの世に留まる時間、空間の長さ、広さはその家の主人も私も同じだ。最後はこの身体はこの世に捨てていかなければならないので、主人顔してもどうにもならない。もともとこの世自体が煩悩の火宅と知っているので、焼け失せたといっても騒がれることもない。荒れたところがあっても修理する気にもならない。畳一畳敷ければ、狭いと思うこともない。まことに寝ても覚めても念仏を唱える生活は、妄念が起こらない心の澄み透った住み処だなあ、というのであった。

 

 一遍上人が住み処とした念仏は、なによりも「普く衆生に施して」唱える念仏であった。一遍上人が唱える念仏に和して人々が念仏を唱え、人々の唱える念仏に和して一遍上人が念仏を唱え、やがて一つの大きな念仏がそこに現成する。「口にとなふる念仏」に和して手が動き、足が動き踊り念仏が唱えられ、そこに歓喜溢れる踊り念仏の渦が現成する。そのような「おもひなき世」こそ、一遍上人の「住み処」であったといえるだろう。一遍上人が念仏を唱えながら歩いた道、念仏を唱えながら賦算した門前、念仏を唱えながら雨宿りしたお堂の軒先、野宿をした草原、踊り念仏を踊った道場、そして最期を迎えることになった兵庫の観音堂、その至るところが一遍上人のこの大地の上での住み処となったのであった。 

 

【参考】講話で引用された資料

@「人間が有るということ、すなわち、それは死すべきものとしてこの大地の上に有るということであり、すなわちそれは住んでいるというこである。」(ハイデッカー『講演と論文』より)

A 喜撰法師の歌 「吾が庵は都のたつみしかぞすむ世を宇治山と人はいふなり」

B『−遍聖絵』に載る空也上人の詞

「心に所縁なければ、日の暮るゝに随って止まり、身に所住なければ、夜暁に随って去る。忍辱の衣厚ければ、杖木瓦石に痛からず。慈悲の室深ければ、罵倒誹謗聞こえず。口に信せて称する三昧なれば、市中是れ道場。声に順つて仏を見れば、息精即ち念珠なり。夜々仏の来迎を待ち、朝々最後に近づくを喜ぶ。三業を天運に任せ、四儀を菩提に譲る」。

C 「念仏の安心」について問われて一遍上人が述べた詞。

「むかし、空也上人へ、ある人、念仏はいかゞ申べきやと問ければ、、『捨てこそ』とばかりにて、なにとも仰られずと、西行法師の撰集抄に載られたり。是誠に金言なり.。念仏の行者は智恵をも愚痴をも捨、善悪の境界をもすて、貴賎高下の道理をもすて、地獄をおそるゝ心をもすて、極楽を願ふ心をもすて、又諸宗の悟をもすて、一切の事をすてゝ申念仏こそ、弥陀超世の本願に尤かなひ候へ。」(『一遍上人語録』) 

D 空也上人の歌 「山川の末に流るる橡殻も身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

E 西行法師の歌 「惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは身を捨ててこそ身をも助けめ」(玉葉集)

F 法燈国師覚心から「念起即覚」の心を問われて、一遍上人の詠んだ歌。

「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏の声ばかりして」

 すると法燈国師に「未徹在」といわれて改めて一遍上人が詠んだ歌。

「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏」